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中野大介先生 (香川大学薬理学講座)からの留学便り 〜Medical College of Georgia、University of Sothern California、Vanderbilt University〜

中野大介先生 (香川大学薬理学講座)からの留学便り 〜Medical College of Georgia、University of Sothern California、Vanderbilt University〜


香川大学薬理学講座の中野大介と申します。このたび、留学記を寄稿させていただく機会を頂戴し光栄に存じます。私は海外研究室巡りだけは平均よりも多くしているため、これから留学を考えている方や留学とはどういうものかを知りたい方の参考になればと思い、私が巡った4か所について、簡単にではありますが、記させていただきます。最初の3か所はアメリカ合衆国(ジョージア州オーガスタ、カリフォルニア州ロサンゼルス、テネシー州ナッシュビル)であり、他の方から話を聞かれることもあると思いますので、4か所目のノルウェーについて少し比重を大きくしようと思います。


1か所目: David Pollock's lab, Vascular Biology Center, Medical College of Georgia, Augusta, Georgia, USA (2006年5月~2008年4月)

初の海外留学は同時に初の海外渡航でした。学位取得が近づき、大学にはポジションも限られているため就職を考えていた際、恩師である松村靖夫教授(大阪薬科大学)から海外留学を紹介されました。自分の道に閉塞感のようなものを感じていた私は、その話をすぐに受けさせていただきました。今から思えば恐ろしい話ですが、留学先のPollock教授は、私と一切会わず、松村教授とのメールだけで私の採用を決めてくれました。後から聞いた話ですが、Pollock教授が、自分自身で実験をする時間を短縮し、ポスドクを雇おうと考えた時期と重なったという幸運があったようです。*渡航に関する手続きなどは、10年前ということもあり、現在とはかなり変わっているので、省かせていただきます。
Pollock教授は現在はUniversity of Alabama at Birminghamに移られて、1フロアーを占有するような大ラボ運営をされていますが、当時は、junior faculty 1人ポスドク3人ラボマネージャー1人が小学校の教室くらいのスペースで実験をして、昼夜延々ディスカッションするような形でラボ運営をされていました。私は、学位は血管・高血圧で取得しており、留学してから初めて腎臓生理学に携わりました。当時の私が始めたことは、腎臓髄質の血流・尿生成を、血管作動性物質エンドセリンがどのように調節しているかを検討する研究でした。エンドセリンは血管内皮細胞から産生されることから発見されましたが、実は腎集合管が体内で最も多くのエンドセリンを産生することがわかっていました。腎集合管から産生・周囲に分泌拡散されるエンドセリンは、集合管に作用して利尿ナトリウム利尿効果を、同時に腎血管床に作用して抗利尿ナトリウム利尿効果を示し、その二つの相反する作用がバランスを保っていることを発見することができ、私が腎臓の世界へのめりこむきっかけとなった思い出深き研究です。薬剤師である私は、腎臓と言えば利尿薬とレニンでしか触れる機会がなく、ど素人もいいところでした。それでも論文になるような結果をだせたのは、懇切丁寧に指導をしていただいたPollock教授のおかげです。英語力が不十分で、しかし、研究室にこもって研究以外のことを話さない(生活に関する英語力が全く鍛えられない)私に対して、Pollock教授はある金曜日、こう仰いました。「Daisuke、今日は4時から特別ラボミーティングがあるから参加しなさい」、ミーティング場所が書かれたメモを渡され、現地に行くと・・・バーでした。「なんでもない私生活のことを友人たちと話すことが語学力の向上に繋がるんだよ」、研究面だけでなく、私生活の部分も気にかけていただき、また、帰国後もずっと連絡を取っていただき、私の留学観を決定づけてくれた恩師であります。


2か所目: Janos Peti-Peterdi's lab, Department of Physiology & Biophysics, University of Sothern California, Los Angeles, California, USA (2010年6月~2011年2月、2013年1月~3月)

2か所目は、腎生体イメージングの第一線で活躍するPeti-Peterdi教授の研究室です。ここには計9カ月、滞在しました。Peti-Peterdi教授とは、Georgia時代に参加した学会などで旧知であったため、私が生体イメージング技術を習いに行き、それを利用して共同研究をしようという形で渡航しました。行った実験は、腎糸球体からタンパク質(アンジオテンシノーゲン、レニン、プロレニン)がどの程度漏れているか、それに影響を与える因子は何か(glycocalyx)に関する検討でした。ここで教えていただいた生体イメージング技術は、今でも私が研究を進めるうえで核の一つとなっています。短期滞在ではありましたが、私の研究人生で非常に重要なターニングポイントと言える渡航でした。Peti-Peterdi研は現在もロサンゼルスにあり、日本国内からも数人が留学されておりますので、私の記憶にある古い研究室の詳細は割愛させていただきます。
 Los Angelesは大都市であるため、家賃が(ジョージアに比べて)格段に高く、とても短期で借りられるところはありませんでした。そこで、当時まだ独身だった私は、ルームシェアという結論に至りました。2010年の滞在の際は、地下鉄で20分の距離にあるアパート(2LK)で日本人とのシェアでした。$500/月程度であったと記憶しております。2013年滞在の際は、アメリカ人大家の家に間借りをし($550/月)、バスで15分程度の通勤時間でした。LAは公共交通が整っており、少々遅くなっても安全に地下鉄やバスが使えたのは便利でした。滞在した住居は、両方ともSilver LakeというLAダウンタウンとハリウッドの中間地点にあり、どこに行くにも非常に便が良い場所でした。独身で行かれる方にはオススメの場所です。家族連れでUSAに来られる方は、Peti-Peterdi教授の薦めで北部のパサデナに住まれることが多いようです。


3か所目: Jens Titze's lab, Department of Clinical Pharmacology, Vanderbilt University, Nashville, Tennessee, USA(2016年8月~2017年1月)

3か所目は、ドイツからバンダービルト大学に研究室を移されたJens Titze教授の研究室です。幸いにも、科研費国際共同研究加速基金に採択され、国内では限られていた仮説証明の手段を求めて渡航しました。彼とも、まだ彼がドイツにいたころから、学会等で知り合いになっていました(彼との交流を始めることができたことに関して、東北大学清元秀泰先生に感謝申し上げます)。何よりも、香川大学で学位を取得した北田研人博士が彼のもとでスーパーポスドクとして頑張ってくれていたため、ほとんどインタビューもなく、受け入れを決めてくれました。
 ここでは一つ問題が生じます。日本に比べると事務仕事に圧倒的に長い時間をかけるアメリカでは、何事も余裕をもって提出しておく必要があります。しかし、私の主要目的であった生体イメージング実験の動物実験プロトコール申請が、種々の理由で私の到着後になってしまいました。そのため、初めの3か月間、イメージング実験は0でした。結果としては、これがプラスに働きました。その間にやった実験が思いもよらぬ結果となり、次のノルウェーへの足掛かりとなってくれたのです(つい最近のことですので、実験の詳細は伏せさせていただきます)。
 この渡航に際して、前の2か所とは大きく異なる点がありました。2014年に結婚し、2016年1月には子供も産まれていたため、今までのような着の身着のままで行くことができなくなったのです。3人分のビザ申請が必要であり、首が座ったばかりの息子を白いシーツの上に寝かせて自前のカメラで証明写真を撮りました。必要書類は早め(4月)に行動を起こしたおかげで、なんとか渡航までに揃えることができました。幸い、息子は飛行機の中ではおとなしくしてくれましたが、到着後時差ボケが半月位続いておりました。一方、日本帰国後は即座に時差に対応していたのですが、成長もあるので、偶然かもしれません。私が研究室にいる間は、妻は教会などの子連れの親が集う場に行き、交流関係を深めることができたようです。バンダービルト大学は日本人が多く在籍しており、セットアップ、その後の家族付き合い等、慣れていない方でも馴染みやすい環境にあると思います。ただし、一点、バンダービルト大学は最近、医学部門をVanderbilt University Medical Centerとして独立法人化しました。それに伴い、大学と企業という二つの組織になり、留学生に適用されるルールも分けられたとのことです。このことで事務方に混乱が生じ、書類作成審査が非常に長くなっていると聞きます。渡航準備に要する期間は、通常は3-4カ月だと思いますが、現在のバンダービルト大学に関しては、しばらくの間は、かなり早めに書類作成を始めたほうが良いようです。


4か所目: Helge Wiig's lab, Department of Biomedicine, University of Bergen, Norway(2017年2月)

4か所目は、Titzeラボで得た知見を、更に確たるものにする実験を行う目的で、ノルウェー・ベルゲン大学に2週間だけ滞在しました。PIはHelge Wiig教授、間質生理学を35年間続けているスペシャリストです。彼はTitze教授の長年の共同研究パートナーでもあり、ここもWeb meetingを10分間行うだけで、受け入れを承諾してくれました。

ここには一人で、しかも2週間ということでしたので、渡航に関する事前準備情報は残念ながら多くありません。研究室で動き出すための準備ですが、香川大学職員としての身分を証明するのみでした。あらかじめ医学部長から身分保障の英文レターを戴いていましたので、それを見せるのみで、初日から研究室への出入りが可能となりました。

Wiigラボは、faculty(ボス本人) 1名、ラボマネージャー1名、大学院生1名の小所帯ですが、Cardiovascularグループ全体がひとつのラボのような形で、15人くらいで一緒に仕事をやっています。研究施設は「black zone」、「gray zone」、「white zone」に分かれていて、black zoneは動物の飼育および実験区域(慢性実験終了時のサンプリングなどもここで行います)、gray zoneはサクリファイスする前提で動物をblack zoneから持ち出して実験する区域、white zoneは動物を使用しない実験区域となっています。私は、麻酔下の動物にnon-survival surgeryを施して、各種パラメーターを観ることが目的でしたので、専らgray zoneにおける作業ばかりしておりました。現在は、日本もそうですが、大半の研究者はblack zoneかwhite zoneを使用していますので、私はテニスコート2面くらいのスペースを占有するというなんとも贅沢な環境で2週間を過ごさせてもらいました。Cardiovascularグループでは、「間質」「リンパ」を研究キーワードとしており、全ての区域で電解質・浸透圧などのgeneral parametersが測定できるようになっています。また一つ下の階には、Department所属のプロテオーム解析コアとイメージングコアがあり、採取したサンプルを即座に解析にかけることも可能です。

ボスのWiig教授は、もう60歳を超えた御大なのですが、大の研究好きかつ徹底した現場主義者です。上記の通り、私はずっとgray zoneに引きこもって、マウスと格闘しておりましたが、仕事の合間を縫っては様子を見に来てくれました。私の行っていた手技は、マウスの「間質圧を測る」「リンパ液を集める」など、挑戦的なものが多かったため、よりよい手技になるよう「カテーテルの径をもう数十ミクロン短くしたほうがいいのではないか?」「ここの糸は10号を使おう」など、かなりマニアックな部分まで議論していただき、ときに夜9時を回るまで付き合ってくれることもありました(ここでは、研究者の大半は午後4時に帰ります)。本人は、マウスの手術のような細かい手技はもうしていないのですが、アッセイ等はまだ自分で行うことも多く、2013年にはfirst authorとしてJournal of Clinical Investigationにも論文を通しております。現場で動き続けているスペシャリストだからこそ、目から鱗が落ちる様な工夫を提案戴いたり、技術上の限界も踏まえた「何が今やれる最善か」を真剣に考え議論する場を提供してもらえました。2週間という短い期間でも、図になるだけのデータを得ることができたのは、ひとえにWiig教授のサポートのおかげです。

少しノルウェーとベルゲン大学について紹介したいと思います。ベルゲン大学は小さな大学ではないのですが(QS World University Rankings®の200位内常連)、多くの人にとって、私は「初めて話す日本人」でした。最も多い外国人はドイツ人、これは言語的に近いこと、中世ハンザ同盟の時代から歴史的に深いつながりがあることに起因するそうです(酒飲みの私は「それならビールが安いのでは?」と期待しましたが、一缶500円+消費税25%でした・・)。その他もヨーロッパ圏が中心で、アジアはまだまだ少数派とのことです。アメリカで「どこに行ってもアジア人がいる」環境に慣れてしまっていた私としては、すごく新鮮な環境でした。ノルウェーの公用語はノルウェー語(ただし、ノルウェー語と言うものは2種類存在するそうです)。耳で聞いてもさっぱり理解できませんが、書かれているものの中には英語のスペルに近いものも存在します。ノルウェー語を全く勉強せずに渡航したのですが、大きな不便は感じませんでした。それというのも、少なくともベルゲンの街では、どこに行っても英語が通じます。職種や収入に関係なく。およそ地元の方しか使用しないだろうお店に入っても、初めはノルウェー語(らしき言葉)で話しかけられますが、僕が「excuse me?」と尋ね返すと、すぐに英語に切り替えてくれます。そもそも東洋人が少ないので、初めから英語で対応してくれることも多くありました。同僚に「なぜこんなにもみんなが話せるんだ?」と尋ねると、「英語の授業で、ひたすら話し続けるから。でも文法を習った記憶がない」と言われました。母国語との言語的距離も関係しますので一概には言えませんが、日本と真逆の教育で結果が出ていることに、妙に納得いたしました。また、研究所で最初に驚いたのは、空間をぜいたくに使った設計でした。ヨーロッパには「新設の大学関連施設には芸術的な造りを盛り込むように」とのお達しがあるらしく、私の行った研究所も8階までの吹き抜けとモニュメントや絵画だらけのロビーがありました。そこに設置してあるピアノを学生が夕方ごろに練習して、吹き抜けを通して研究室内のBGMになるという環境でもあり、ヨーロッパ特有の風土を感じました。

余談ではありますが、「2月にノルウェーに行く」と周りに言うと、多くの方が気温の心配をしてくれました。ベルゲンの緯度は北緯60度で、アラスカやカムチャッカ半島の付け根と同程度にありますが、メキシコ湾流の影響を受けるため、非常に温暖です。香川やナッシュビルと同じ服装で外を歩くことができました。到着後3日目位に、同僚が「今朝は寒かったな!山のほうは雪降っていた!」と言ってきたことが、非常に印象的でした。


最後に、
まだ留学をされたことがない方が、留学に際して不安に思うことは山ほどあると思います。①英語のこと、②家族の生活のこと、③アメリカのケースでは、新大統領の就任で政治的に大きく転換する可能性等。①英語のこと: (私は少し楽天的な思考の持ち主ではあると断っておきますが)言語は留学で得られるものに比べれば、問題にならないことだと考えております。私はジョージアに渡った時は中学生レベルの英語力でした。人によっては何を言っているのか、単語一つすらもキャッチできない。そんな状態でした。人間、生活がかかると何とかなるものです。少なくともアメリカに関しては、英語を流暢に話せない人間は珍しくないので、こちらが言葉を紡ぐのを待ってくれます。大切なのは、真摯に伝えようとする姿勢です。本当にミスのできない場面(銀行とのやり取りなど)では、ネイティブスピーカーの友人に付き添ってもらいました。 ②家族の生活のこと: こちらはケースバイケースですので、いい加減なことは言えませんが、皆さま、現地の人(日本人orラボの同僚)と事前に連絡を密にし、特に子供の学校等で不便を起こさないように準備されています。皆さん、子供の発音の良さを羨ましがっておられます。渡航前にヘルプしていただいた家族同士で、到着後も家族間ネットワークのようなものが構築されているようです。人の繋がりの重要さを再認識できるのも、留学の醍醐味の一つだと思います。③新大統領: 私の聴いている限りでは、日本からの留学生に対するシステムが法律上大きく変わることはないそうです。むしろ、問題は現場(大学事務)が「何が変わって、何が変わっていないのか」を把握できていないケースがあります。アメリカでは個人裁量の幅が大きく、窓口の方が制度を誤解していると、法律上問題がなくても、申請が却下されることなどがあります。学外の話ですが、私は銀行口座があるのに、カードをもらえないというトラブルを経験しました。隣の窓口に行くと5分で発行してもらえました。バンダービルト大学のように、新体制になり現場が混乱すると、個々人の理解に差が産まれ、種々の書類手続き等が滞ることがあります。以前からそうですが、何事も申請は早めに行うように心がけることをお勧めします。
 私が多くの研究室(計6)を観てきたうえで、留学を考えている方に伝えたい個人的意見があります。行くなら「その国出身の人」が居る研究室に行かれることを強くお勧めします。アメリカの機関ならアメリカ人が居るラボ、ドイツならドイツ人が居るラボ。それがボスであればベターですが、同僚でも構いません。その国で生まれ育ち、その国の文化に深く精通している人が身近にいる、これだけで留学生活(研究・私生活の両方)の在り方に大きく影響を与えると信じています。
 末筆になりますが、2か所目以降は香川大学の職員として行っております。その間、教授の西山先生は一人で薬理学教室を切り盛りされていました。このような行為をご許可いただき、帰国してからも得られた成果について議論してもらえる環境にいることを、本当に幸せに感じております。この場を借りて、御礼申し上げます。
この留学記が誰かの一助になること、そして、その方々が後進に体験したことを紡いでいってくれることを祈念して、終わりにしたいと思います。

 

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